高校時代
ただただ、退屈で苦しいだけだった高校時代。学校に行くのが嫌で嫌で仕方なかった。
話す友達はいないし、授業もクソつまらないし、満員電車は嫌だし、家でゲームとデュラチャがやりたかったし、卒業したところで、大学に行くつもりも地元のブラック企業に就職するつもりもなかったし、毎日、毎日なんで俺はこんなことしてるんだろうの連続。社畜の気持ちがわかるというか、だから引きこもりだしたのもあるかも。
高校時代一番の思い出は、学校に行くふりをして、中学時代のクソみたいな友達とゲーセンに行って射的でピカチュウのぬいぐるみを取ったこと。ピカチュウ ゲットだぜとかいって喜んでいたら表を見てビックリ、顔がついていなかった。
ま、そんなんだから学校をあと一日休んだら留年というところまで休みまくったんだよな。先生はいい人だったので仮病だとバレてたと思うが、何も言ってこなかった。
先生元気でやっていますか。
他にもいろいろ書きたいことはあるが書かない。ここまで読めば思い出す気がするからだ
今みたいなぬるま湯生活よりも強いストレスに晒され、嫌なことをいっぱい経験し心がぼろぼろになったはずなのに、生きている実感や充実感は高校時代のほうが強かった。
みんな言うように嫌ならやめりゃいいんだけどな。そうもいかねえんだよな。
俺にはこれしかないのに
俺には音楽しかない
俺が将来の夢について出した結論だ。
冗談ではなくホンキでそう思っている。
じぶんのなかの好きなことと、適職診断と過去のポジティブな出来事を組み合わせて考えたら、
自由奔放な性格で、直感に優れ、非日常の中で、熱狂したりハラハラ・ドキドキする未知のことを他人と共有することが好き。専門性を発揮し束縛指図が嫌い。ということがわかった
それに音楽は好きだし、上の条件にも当てはまっている気がした。
でも俺はギターなんて触ったこともなければ、ライブにも行ったことがない。歌も下手くそだ。
そのくせみんなが熱狂するボラーレみたいな情熱的な曲を作りたい、ライブも超大盛り上がりしなきゃ意味がない。ブルーハーツみたいに人間としてロックじゃなきゃ、ダサいしファンも盛り上がらないだろうなとか。
で、ミュージシャンなり方で調べてみたら、やはり世の中は厳しいらしいということを知った。
早い話が、しくじって自分の可能性を無駄にしたくないんだ。
何かをするってことはそれ以外ができなくなるということ。
他のことをやっていればもっと幸せだったんじゃないかって後悔するのが怖い。
俺の人生はその連続だったし、親父や母親はやりたいことをやった末に、貧困、不幸が待っていてもう手遅れだからつまらない日常を繰り返し、死ぬことを待つだけという、あまりにも残酷な人生を送っている 父親も母親もあんまり好きじゃないけど、死ぬときくらい、つらい思いをしなくてすめばいいな。
それにどれだけ、恵まれようが恵まれなかろうが、先日の事故のような突然の不条理、不運は避けられないだろうし、年を取れば病気になって、人はみんな死ぬ。
俺は周りの人間に比べてまだほとんど良い思いをしていないし、今までの人生でいいことが一個もなかった。このままビビって何もしなければ.....それでも良いかもしれないけど....
人生ってなんなんだろうな なぜ人は苦しんで生きるんだ。発展したって破滅しかしないのに。
こういうヘドロみたいな気持ちを一瞬でも吹き飛ばす熱狂や爽快感を求めたいはずなのに。
バイトで月収100万円への道
なんか鬱と対人恐怖と統合失調症と身体醜形障害みたいになってた訳だが、最近吹っ切れてバイト始めようかなと思いだした。
前にもペットショップにネットで応募して、怖くなって面接バックレようとしたら親が「連絡入れろそれが常識だ」とうるさかったから嫌だったけど、面接辞退しますと電話をかけた。3年ぶりに他人と話したので、舐められないように陽キャのフリをして圧をかけて、なんとか凌いだ。
やっちゃえばなんとかなるの精神は大事だ、過ぎてしまえば笑い話だと。
そんなんでバイトは時給千何百円の醤油工場がいいんじゃないかと思ってる。
しょうもない仕事だから、しょうもない人間でも働けるはずだ。
一応頑張るつもりはあるけど、基本手抜く。
悪口や殴ったりするわけじゃない、仲良くやろうや。
面接したことないけど、真面目な態度でやるつもりはない。
真面目に働く気あるの?と聞かれたら 正直に「ない」と答えようではないか。
志望動機を聞かれたら、「時給が良いから」と答えよう。
なんだろうが所詮バイト、気楽にいくでござる。
金溜まったら、好きな本買って、教材買って、アフィリエイトブログか転売で月収100万稼ぐ。そしたら親と早くサヨナラできるからねwww
思い出と本の整理
本棚を整理したら、本が多いこと多いこと
適当に並べてるから訳わからんし、倒れてたり、埃かぶってるしで、吐きそうだった。
一応大体200冊くらいあったと思う。せっかく整理したんだしどんな本があったのか記録しとく。将来の俺が運良くこの記事を読むようなことがあれば、なんか懐かしい気持ちになるんじゃないかと思うから。
本棚にあった本と感想
- 今は全く興味ないけど小学生の頃好きだった世界史の本。
- 中学生の頃にハマった将棋の定跡や寄せ、詰め、理論書。
将棋にハマったきっかけは親父がパソコンソフトに勝てないのを見て、俺なら勝てると思ったから。で、やってみたけど10級くらいのソフトに負けた。それが悔しかったから学校から帰ると親父と将棋盤で将棋を指すようになった。親父は俺が野球をやりたいと言った時も練習に付き合ってくれた。あの頃の楽しそうだった親父も俺も嘘のようにどこにもいない。
- 読んでも実行する気が起きない自己啓発本。本書いたやつだって何%できてるんだかと思う
- ムーン・パレス、ライ麦畑でつかまえて、ブコウスキー等はアメリカ文学。もれなくインパクトを与えてくれたけど最近は刺激が強すぎることに気づいて敬遠してる。(小説読むのが面倒くさくなってきたってのもある)
- ガルシア=マルケスの族長の秋はラテン文学。
- ドストエフスキーの罪と罰と、上巻しか読んでないカラマーゾフの兄弟は(二度と読むつもり無い)、ロシア文学。 カラマーゾフの兄弟は昔一気読みして、「続き気になるなぁ」「ドストエフスキー神」とか思ってたけど、すっかり忘れてた。なぜ二度と読む気が無いかと言えばあのふざけた文体に腹が立つようになったからだ。
イエスの生涯はキリストのアガペーがマジ泣ける。簡潔な文章にも驚いた。
伊藤計劃の虐殺器官は、世界観が好きで、かっこいいと思ったし、痺れたし、憧れたし、今でも愛してる。
星新一は中学2年生のとき学校で一番、いや市内で一番かわいいんじゃないかっていう子がいて、その子が給食を食べてるときに、「私、星新一読んでるんだ」と。
俺も星新一読んでたから、それ聞いたときドキドキして「え?xxも星新一読んでるの?俺も読んでるよ」と言おうとしたけど、無視して黙ってた。
うん、今思い出しても別にだな。切なくもないし、悲しくもないし、後悔もないんだけど、ひたすら俺らしいって感じ。
- それから16,7歳でポーカーにハマった時は、ポーカー本に付箋を貼って、ノートに感想を書いたりした。
感想
200冊中これからも読んでいこうと思う本は、衝撃を強く受けた本だけで、数えたら20冊しかなかった。
残りの180冊はたぶん捨てることになるだろう。
二度と読まないし邪魔だから。でも思い出は捨てないよ。たぶん
息子が骨折 少年野球への怒り
暇つぶしにヤフーニュースを見ていたら息子が骨折 少年野球への怒り
みたいなヤフートピックを発見。
大体想像がつくので記事は読んでいないが、息子の親は少年野球が存在すること、指導者が悪いとでも思ってるのだろう。
少年野球はどんなに指導者が注意したって怪我は起こるのにな。
空手やってた同級生なんて、上級生からボッコボコにされたとかいってたし。
男の子のスポーツ系の習い事は思ったよりハード
別にこの世に野球というスポーツは無くてもいいのかもしれないけど、少年野球が規制されれば野球は終わる。
そういえば僕も小学生時代、1チーム10人ちょっとしかいない試合をするのもギリギリのチームで少年野球をやっていて、チームメイトの中にはスライディングしたら膝から骨が飛び出しちゃった子、よそ見をしてしまいショートの送球を顔面で受けたセカンドがいた。
なかでも一番理不尽だと思ったのが、バント練習で自打球を顔面で受けてしまった子だった。
ちなみにショートは俺で、怪我をしたのは全部同じ子だったな。
とかいろいろ思い出して一人で笑ってしまった。
野球の思い出は腐るほどあるから、また書こうか。。。